【二・二六事件】2.26事件は「上司に恵まれない部下」の悲劇だ


1: 2018/02/26(月) 16:38:49.41 ID:CAP_USER9

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いまから81年前の2月26日、首都東京のど真ん中で、クーデター事件が発生する。「二・二六事件」──当時の陸軍青年将校による反乱事件である。

彼らは武装部隊を率い、首相官邸をはじめ政府要人の邸宅を次々と襲撃。東京の官庁街一帯を占拠して立てこもった。

一時は成功するのかと思われる状況も垣間見られたこの計画は、途中から一転して彼らも想像しなかった思わぬ展開により、わずか数日でもろくも崩れ去る結果となった。

■未遂に終わったクーデター

昭和11年を迎えた東京は、例年よりも雪の日が多く、特に2月25日の夜半から翌26日にかけては激しい吹雪で、30年ぶりとなる大雪が観測されるほどでした。その悪天候の中で、完全武装をした複数の部隊が、東京の中心にあたる永田町の官庁街各所に、「夜間演習」と称して展開していました。

やがて部隊は、夜明け前の午前5時を合図に、首相官邸をはじめとする政府要人の邸宅と、警視庁をはじめとする主要官庁、朝日新聞社などを、突如として襲撃します。世に言う「二・二六事件」は、こうして幕を開けました。

当初の発表では、海軍出身の岡田啓介首相を含む関係閣僚の多数が死傷したことが報じられ(後に首相は無事が判明)、世間を大きく驚かせました。

事件の首謀者である陸軍の「青年将校」たちは、当時の停滞を続ける日本社会の現状を打開・打破すべく決起に踏み切ったものの、結局、クーデターは未遂に終わり、わずか数日であっけなくついえます。

この失敗の要因を探ると、「さほど能力のない上司に翻弄される、恵まれない部下が陥る悲劇」という、現代の私たちも共感したくなるような現実が垣間見えてきます。

今回は「二・二六事件」をテーマに、その経過と陸軍皇道派の青年将校がその派閥のトップから受けた考えられない仕打ちについて解説します。

■青年将校はなぜ決起したのか

(省略)

ズバリ、クーデター計画の「最大の欠陥」は、実行犯である青年将校らが頼りにしようとした「皇道派」の上官の将軍たちに、期待したような力がなかったことです。

「上の都合」で汚名を着せられるハメに

Q6. 決起した青年将校らも、その次の行動については「上官の将軍たち任せ」だったのですか?

そうなのです。決起した青年将校らは、「自分たちの役割はあくまで現政府を破壊し、政治の混乱を招くこと」と考えており、実際のシナリオもそこまでで終わりでした。

決起に際しての声明文(趣意書)でも、「『統制派』要人の罷免」と「『皇道派』の抜擢」のほかは、陸軍大臣に向けて「この混乱の収拾と自分たちの意図する新政府の実現に努めるよう要求」するのみで、具体性に欠けています。

そして、「ここから先は皇道派の将軍たちに実行してもらう」というあいまいな内容でした。

Q7. なぜ彼らは、自分たちで新政府を立ち上げなかったのですか?

「はじめから、そのつもりがなかった」からです。

現政府を倒し、政治の混乱を招いたあと、その先の新政府樹立に向けた具体的な行動については、彼らの「上司」である皇道派上層部の幕僚が、自分たちの決起に呼応して、暗黙のうちに引き継いでくれるものと考えていました。趣意書の内容にもその点がよく表れています。

Q8. ということは、事件は「青年将校と上層部の共謀」だった?

そのあたりは非常にグレーゾーンで、種々の記録をみても判然としません。表向きには両者はあくまで無関係を装いつつ、青年将校らは日頃の接触から「自分たちの決起を上層部は暗に期待している」という確信を得ていたようです。

現に事件後すぐには、陸軍内の「皇道派」上層部がさも機に乗じる姿勢で、クーデター部隊を「蹶起(けっき)部隊」と呼び、趣旨に理解をみせたりもしました。最初の1日は、クーデター部隊に有利な展開もあったのです。

Q9. でも、上層部の将軍たちは立ち上がらなかった、と。

はい。最終的には立ち上がりませんでした。同じ「皇道派」でも「青年将校と上層部」の間には若干の温度差がありました。そして決定的だったのは、このとき頼みとする「皇道派」上層の将軍たちには、青年将校らが考えるほどの陸軍を動かす力がなかったのです。

※以下全文はソース先でお読み下さい

東洋経済オンライン 2017年02月26日
http://toyokeizai.net/articles/-/159796


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Source: エクサワロス


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